大判例

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東京高等裁判所 平成4年(う)841号 判決 1994年10月27日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件訴訟の趣意は、弁護人内山成樹提出の控訴趣意書及び被告人作成の控訴状に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は、原審で取調べた証人らの証言を信用できるとして、被告人が被害者であるA子のショルダーバッグから財布を抜き取り窃取した本件窃盗の犯人であると認定しているが、右証人らが被告人を犯人と誤認した可能性があり、被告人が本件窃盗の犯人であるとは認定できないから、原判決には判決に影響を及ぼす事実の誤認がある、というのである。

一  そこで記録を検討すると、本件の被害者であるA子は、原審証人として、大要、「本件当日、自分は小田急代々木上原駅から急行電車の六両目の二つ目のドア付近中央部に乗車し、成城学園駅前に到着する原判示の時刻ころ、左肩から下げていたショルダーバッグ辺りで知らない男の左腕が動いていたので不審に思い、ショルダーバッグを見るとバッグの口が開いていて中にいれていた財布がなく、盗まれたのに気が付き、洋服の色から特定できたその男に続いてプラットホームに降りて、『私の財布を盗りませんでしたか。』と声をかけ顔を見て、その男が被告人であることを容貌によつても識別した。すると、被告人は、『何も盗つてないよ。』と日本語でない訛りで返答してその場から歩いて立ち去ろうとし、さらに自分が『本当に盗つていないならお詫びしますので、駅員さんのほうに一緒に行つて下さい。』と言うや、突如改札口に通ずる昇り階段を駆け上がり逃げ出した。そこで、自分は、『泥棒、泥棒』と叫んでその後を追い掛け、改札口を過ぎて左側の階段(南口階段)を降りる途中で見失つたが、階段を降りた曲がり角で通行人から教えられ、被告人が線路にほぼ平行な道路の右手前方(喜多見方向)を道路を横断して最初の角の飲食店『ミスタードーナッツ』角を左に曲がつて逃走して行くのを認め、なおも追い掛けて行き、同店を左折して進んだところで、約三九メートル前方の路上で通行人に捕まえられた被告人を見付け、通行人の一人から財布を戻された。」旨供述している。そして、右供述は、具体的かつ詳細であるとともに事柄の経過をよく説明するもので、不自然な点は見受けられない。そのうえ、右供述は、<1>原審証人Bの「同日小田急成城学園駅前で下車し、同駅の改札口を出て、南口階段を降りている途中で、『泥棒』と言う女性の声を聞き、脇を走り抜けた男を追い掛けて襟首を掴んだが振りほどかれ、階段下で通行人に足を掛けられて倒れたその男を掴んだが逃げられ、五、六メートル後ろから追跡し、南口を出て右に曲がり次に角を左に曲がつて逃げるその男を、約一五〇メートル追つたところで捕まえた。自分の後から来た通行人が財布を途中で拾い、被害女性がその確認をした。なお、その男以外に自分の前を走つている者はいなかつた。その男が被告人であることに間違いはない。」旨の供述、<2>原審証人Cの「同日小田急成城学園前駅で下車直前に、他の降車客とは違う方向を見ている被告人に気付き不審を感じたが、被告人はプラットホームに降りるや女性と言い争つていた。自分が改札口へ通ずる階段を昇つて行く途中、横を被告人が逃げて行き、その後をその女性が『泥棒、泥棒』と言つて追い掛けてきたので、自分は他の何人かとともに追い掛け、改札口を出て南口階段辺りで見失つたが、そのまま追跡して行き、被告人が他の者に捕まえられているのを見て、付近の交番に連絡した。追跡者の一人は被告人が途中で捨てたという財布を被告人に示していた。」旨の供述、<3>原審証人Dの「同日午後六時過ぎころ成城学園前駅南口のすぐ近くを同口に向かつて歩いていると、前方から『泥棒だ、捕まえてくれ。』との声が聞こえ、スーツを着た男が先頭に、その次にコートを着てバッグを抱えた人が駆けて来て、その後ろを数人が追い掛けて来たので、先頭の男に足を掛けたところたたらを踏み、その襟首をバッグを抱えた人が掴んだが逃げられた。先頭の男が逃げる途中に財布を地面に落としたのを見た。自分はこれを拾つて追跡し、その男が捕まつていたところで示したところ、その男は知らないと述べていたが、後から来た女性が『その財布は私のです。』と言つていた。その男が被告人であることに間違いはない。」旨の供述ともそれぞれ符合し、その信用性は十分ある。

被告人は、原審において、本件当日小田急藤沢駅から電車に乗車して成城学園前駅で下車し、食事をした後同駅に戻り、改札口と向かい合う切符売場の近くに来たときに、「泥棒」との叫び声を聞いてパンチパーマの犯人を追い掛けたところ、逆に犯人として捕まえられたと供述するが、A子らの右各供述と対比して、到底信用することができない。

二  所論は、右A子らの供述の信用性を争い、A子らはいずれも事件発生時から被告人が捕まえられるまで犯人と被告人とを終始同一の者として見ていたわけではなく、どこかで目を離しているのであるから、被告人が本件の犯人であるとすることには疑問があると主張する。確かに、事件発生直後に犯人と思われる男を見たA子及びCはその後その男を一時見失うなどしているけれども、いずれも見失う前にその男が被告人であることを確認しているのであり、B及びDの目撃状況をも併せて見ると、A子やCが事件発生時の犯人と思われる男と被告人との同一性を見誤つたり、他の者が犯人とは別人の被告人を逮捕したなどと考える余地はまつたくないというべきである。

所論はまた、A子は「被告人は改札口を出るときに切符を(駅員に)渡していなかつたと思う。被告人は、無賃乗車をしていない限り、逮捕されたときに切符を持つていると思う。」旨供述しているところ、被告人は実際には切符を持つていなかつたから、被告人は犯人ではないと主張するが、被告人がそもそも切符を所持していたか否かも明らかでないから、直ちに所論のようにいうことはできない。

所論は、さらに、被害品である財布から被告人の指紋が採取されていないことから被告人が犯人であることを疑わせるとも主張するが、財布から被告人の指紋が検出されていれば、被告人が何らかの機会に財布に触つたということはできても、逆に指紋が検出されなかつたからといつて、直ちに被告人がこれに触れていないとすることはできないから、この点の所論も採用し難い。

三  したがつて、本件窃盗の犯人が余人ではなく被告人であることは証拠上明白であるから、原判決に所論のいうような事実の誤認があるとはいえず、論旨は理由がない。

第二  付郵便送達の適法性について

なお、当裁判所は、被告人に対する本日の第二回公判期日の召喚状の送達を刑訴規則六三条一項本文により肩書日本国における最後の住居地及び被告人の後記外国人登録原票中の本国の住居宛に裁判所書記官による書留郵便に付して発送し、その送達(いわゆる付郵便送達)を行つたが、弁護人は、強制送還された被告人に対する召喚状の送達を付郵便で行うことは憲法の保障する被告人の防御権を奪うもので許されず、公判審理を行うべきではないと主張するので、以下、右付郵便送達の適法性について付言する。

一  本件付郵便送達に関する経過は、以下のとおりである。

1  被告人は、昭和六一年一二月に中華人民共和国から来日し、平成元年四月ころから肩書日本国における最後の住居地に一人で居住し、平成三年一二月二五日までの在留許可を取得していたが、平成四年一月二一日本件窃盗により現行犯逮捕され、引き続き成城警察署及び東京拘置所に勾留されていたところ、原判決言渡しの当日である平成四年六月二二日東京入国管理局第二庁舎に収容され、同庁舎内から同月二三日付控訴状を同年七月三日に原裁判所に郵送提出し、原裁判所からの同年七月一五日付「控訴審における弁護人選任について」の照会に対し、同月二三日付弁護人選任回答書で国選弁護人の選任を請求する旨を同月二五日に回答した。

2  本件控訴事件の配付を受けた当裁判所は、同月三一日国選弁護人を選任するとともに、控訴趣意書の差出し最終日を同年八月三一日と指定し、弁護人及び前記庁舎内にいる被告人に通知した。

3  ところが、被告人に対しては同月一八日退去強制令書が発付、執行され、同月二六日上海行きの中国東方航空五二四便で中華人民共和国に送還された。

4  その後、弁護人は控訴趣意書差出し最終期限の延長を求めてそれが認められ、同年一一月二日控訴趣意書を提出した。その際、弁護人は、強制送還された者について、付郵便送達を行つたうえ審理を進めることについては反対である旨の意見を付記している。

5  当裁判所は、弁護人の右意見を考慮して、同年一二月一一日第一回公判期日を平成五年六月二五日午後一時三〇分に指定し、その旨弁護人に通知するとともに、平成四年一二月二一日中華人民共和国管轄裁判所宛の訴訟書類送達嘱託書をもつて前記公判期日召喚状(訳文付き)を被告人の外国人登録原票中の本国の住居地である遼寧市沈陽市和平区《番地略》へ送付することを嘱託し、右嘱託書は、最高裁判所、外務省を経由して中華人民共和国外交部に送付された。しかし、同国から返答のないまま平成五年六月二五日の第一回公判期日が到来し、同期日は、被告人が出頭せずに延期となつた。

6  その後、平成六年九月一四日中華人民共和国外交部から同年八月一日付文書で、同国と日本の間には刑事司法共助に関する条約が存在せず、中華人民共和国の法律には外国裁判所に代わつて刑事訴訟召喚状を送達する旨の規定が存しないため、同国は日本に代わり召喚状を送達することができないので、当該召喚状及び送達嘱託書を返送する旨の回答が外務省、最高裁判所を経由して当裁判所に届いた。

7  当裁判所は、同年九月一九日第二回公判期日を同年一〇月二七日午後一時三〇分と指定し、弁護人に通知するとともに、被告人に対しては前記のとおり肩書日本国における最後の住居地及び外国人登録原票中の本国の住居地宛に書留郵便に付して発送し、その送達を行つた。

以上の事実は、本件記録上明らかである。

二  そこで、司法共助による被告人に対する送達が不可能となつた事実を踏まえて、以下に改めて本件における付郵便送達の適法性について検討を加えることとする。

控訴審では、被告人は公判期日に出頭すべき義務はない(刑訴法三九〇条本文)が出頭する権利があるので、被告人の召喚手続き(実質は通知)が必要であり、同手続きは、同法四〇四条により同法六五条に定める召喚状の送達に準じて行われているところである。また、その送達の方法については、同法五四条により民事訴訟に関する法令の規定が準用されるが、このほか刑訴規則六二条に特別の定めがあり、在監者以外の被告人は書類の送達を受けるため、書面でその住居又は事務所を裁判所に届け出なければならず(一項前段、三項)、裁判所の所在地に住居又は事務所を有しないときは、その所在地に住居又は事務所を有する者を送達受取人に選任し、その者と連署した書面でこれを届け出なければならない(一項後段)とされている。そして、右刑訴規則六二条は、被告人が公判係属中にその住居等を変更した場合にも適用があると解すべきであり、被告人がその届出をしないときは、刑訴規則六三条一項により、裁判所は変更前の住居等に宛て裁判所書記官による書留郵便に付して書類を送達すれば足りるのであり、訴訟の実際においても、所在不明等により特別送達ができない被告人にはこの付郵便による送達が行なわれているところである。また、この理は、被告人が日本人であるか外国人であるかによつて異なるところはないとともに、在監中の被告人であつても、その後何らかの事情で在監の事態が解消したときには同様であると解すべきである。

これを本件についてみると、被告人は前記の経過から在監の事態が解消された後今日にいたるまで刑訴規則六二条一項の定める届出をしていないのであるから、右に述べたところにより、書類の送達につき付郵便送達の方法をとることが可能であるというべきである。

弁護人の所論は、本件において被告人は強制送還により自らの意思に基づかずにその住居を変更したのであるから誘拐された被害者と同視すべきであり、付郵便送達により審理を行なうことは許されないというのである。しかし、強制送還が自らの意思に基づかずにその住居を変更する場合であるとはいえるとしても、問題は自らの意思により裁判所に変更後の住居の届出等ができるか否かであつて、被告人としては、入国管理局に収容中強制送還が確実になつた段階あるいは本国送還後の段階で当裁判所に本国での予想される住居又は確定した住居を届け出ること等について支障があつたとは認められない。現に被告人は入国管理局に収容されてから控訴状を郵送したり、弁護人選任照会に対する回答をしているところであり、中華人民共和国と日本との郵便等による連絡が不可能とも認められないのである。特に、本件においては、被告人は自ら控訴を申し立てている以上、弁護人との打合わせなどを含め防御権を尽くすためには、当然このことに思いをいたすべきであるといつてよいと考える。

三  付言すると、本件審理においては、弁護人の主張を考慮し、当初第一回公判期日を約半年後に指定するとともに、司法共助により被告人に対する公判期日の召喚状の送達を行なおうとしたのであるが、中華人民共和国との間に刑事司法共助についての条約がないことなどからそれが不能に終わつたのであつて、当裁判所としては、被告人の防御権の確保のため刑訴法及び同規則の定める以上の配慮をしたのである。また、被告人提出の控訴状には、事件につき弁護人提出の控訴趣意書とほぼ同趣旨の控訴理由が記載されており、本件事件の争点は明白であること、当審において右争点に関し取調べをすべき新たな証拠の存在は窺えず、弁護人からもその申請はないことからすると、本件審理において、被告人自身も必ず出頭して防御権を行使することを必要とする具体的事情があるとは認められない。なお、当庁の別の裁判部において、本件と同様に被告人が強制送還されその住居変更の届出がなかつた事案につき、公判期日の召喚状を日本国における最後の住居地宛だけに付郵便送達により発送して審理を行つた事例があることは当裁判所に顕著な事実である。

四  以上により、当裁判所は、本日の第二回公判期日の召喚状を、刑訴規則六三条一項により肩書日本国における最後の住居地及び被告人の外国人登録原票中の本国の住居地宛に裁判所書記官による書留郵便に付して発送しこれを送達したうえ本件の公判審理を行なつたものであり、その手続きはもとより適法なものと考える。

第三  結論

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林 充 裁判官 若原正樹 裁判官 小川正明)

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